岐阜赤十字病院
卒後臨床研修医

先輩研修医の軌跡

研修医日記

第33話

旭川赤十字病院での研修を終えて 赤沼 哲也

前日、北行きのフェリーが台風のため欠航になり不安な中、10月3日午前1時、敦賀港から苫小牧東港へ向けて出港。台風の影響か、この時期の日本海の潮流によるものかは分からないが、かなりの揺れで早々に若干きつめの船酔いを初めて経験。軽快することなく予定より1時間ほど長い20時間半の船旅が続きました。苫小牧東港から車を走らせ、旭川の宿舎に到着した時には、日付が変わっていました。
移動の疲れが取れぬまま始まった神経内科での研修。主治医として髄膜炎、急性期脳梗塞、Parkinson病の診療に参加し、岐阜日赤では経験できないALS、CIDP、MS、Porphyriaなどの神経疾患に触れられたことは有意義でした。
また、昨年度1年間で経験したのと同じくらいの数のLPをわずか1ヶ月で経験できたこと、脳SPECTの際の上腕動脈からのA-Line確保を数多く経験できたことも充実感を与えてくれました。
診療外では、お忙しい中にも関わらず、神経内科の先生方に研修開始早々に歓迎会を開いて頂き、北海道ならではの美味しい食べ物、お酒を御馳走になりました。先生方には診療においても意義深い御指導、数々の御配慮を頂き、スムースに研修を進めることができました。感謝の念に堪えません。
また、研修医の先生も優秀かつフレンドリーな方ばかりで、良い刺激になりましたし、研修医室の居心地もとても快適でした。歓迎会、送別会とても楽しかったです。同時期に神経内科をまわっていた研修1年目のA先生はウィットに富み、とてもすがすがしい人でした。先生の「土下座はスピードが命っす」が忘れられません。
病棟スタッフ、RI室の技師さんにも大変お世話になりました。気配り上手なAさんの的確かつ流れるようなサポートでLPをnon-stressにできました。有難うございました。
休日には美瑛、富良野、旭山動物園などの近場だけでなく、札幌で一泊して小樽に行ったり、阿寒湖に行った後、釧路市街で一泊して網走に行ったりしました。 釧路から網走へ向かう途中の野上峠付近、網走から旭川への国道39号の石北峠で吹雪に見舞われたのが10月25日。峠を越えたら雪は収まるだろうと思ったら、旭川市街も雪。さすがっす。

diary-33-01.jpg

山口赤十字病院での研修を終えて 小松 加奈子

11月に山口赤十字病院へ緩和ケア科の研修に行ってきました。病棟を中心に、外来の見学もさせてもらいながら研修しました。
緩和ケア病棟に入院されている方は様々な癌の患者さんで、若い方は30代の方もいらっしゃいました。患者さんは癌の転移があるため、治癒は難しい方々でした。主に行う治療としては、苦痛緩和などそれぞれの症状に対しての対症療法でした。どの先生、スタッフも患者さんに対して希望に沿えるように動きつつ、ご家族に対してもフォローをしっかり行ってみえるのが印象的でした。また、病棟では音楽療法を行ったり、ベッドのままテラスに出ることもできたり、ボランティアの方々による生け花やティータイムもあり、少しでも穏やかに過ごすことのできるような工夫がなされていました。今までの研修では、薬物治療であったり、外科的治療であったりと、治癒させるための治療を学んできました。今回の緩和ケア科での研修ではそのような治療だけでなく、しっかり患者さんを診たうえで、ご本人さんや家族が望んでいることをくみ取り、できることを行うことも大事だと再認識させられました。患者さんたちがやりたかったことを叶えて、喜んでいらっしゃる姿がとても心に残りました。
医療には限界があり、すべての人を治すことはできません。そのような患者さんはどの科であっても、今後も出会うことになると思います。初期研修医のうちに貴重な経験をすることができ、今回の研修はとても勉強になりました。短い期間ではありましたが、山口赤十字病院緩和ケア科上田先生をはじめ、すべてのスタッフの方々には本当にお世話になりました。ありがとうございました。

diary-33-02.jpg

忘年会を終えて 伊藤 裕基

「そうだ女装にしよう」10月中旬、幹事の方からアトラクションを研修医で何か出して欲しいと聞いて私の頭にこれが思い浮かびました。学生時代の大学祭で運動部系サークルが歌って踊っているのを何度も見ていたのでそうゆう感じでやるのかなぁと思い、一番受けが良かったのはと思い出すと「脱ぐ」or「女装」でした。おおむねこの2つを生かしたものをということで決まりましたが、2年目研修医の先生は県外他施設での研修が多く、練習に参加できない事が大きな問題になりました。そこでメドレーにして2人で練習を行い、直前に全員で合わせる方式になりました。そろそろ振り付けを覚えないといけない頃、3人の元研修医の先生に手伝って頂けることになり、直前夜に職員食堂の窓ガラスを見ながら先生方も交えて練習をしていました。やはり各個人、各グループで練習しているよりも全員と一緒に合わせて練習を行うほうが当日のイメージがし易く、もう少し頑張らないとなぁと感じる事も多かったです。
そんなこんなで当日。祭りは当日よりも準備までが楽しいとは良く言ったもので、当日は怒涛のように過ぎて行き、気づいたらもう自分たちの番も終わっていました。慣れない恰好でしたが無事に終えてホッとしています。今回忘年会を通して普段あまり話さない方とも話すことが出来たのが一番の私の収穫でした。また2年後が楽しみです。

diary-33-03.jpg

研修医になって8ヶ月が過ぎました 魚津 弘毅

岐阜赤十字病院で働き始めてから既に8か月が経過しました。この間に僕は消化器内科を除く内科、麻酔科、外科をローテーションしました。どの科においても学生時代には経験できなかった様々な体験をしました。その中でも外科で2か月間続いた、早朝の採血検査は大変でもあり楽しい経験でした。 毎朝6時開始なので僕は平日5時に起床しました。そのため睡魔との闘いが日々続くのに加えて、採血自体も救急外来での検査以外ではほとんど機会がなかったので、緊張の連続でした。血管の走行は人それぞれで、わかりやすい人もいれば見えなくて全く分からない人もいました。血管の弾力性も個人差があり、針を狙い通りに進めることが出来ることもあれば血管に当たらずに失敗することもありました。アルコール消毒禁止という人もいれば、片方の腕は採血禁止といった方もいらっしゃいました。いろいろと気を使う2ヶ月間でした。
それでもその間色々な患者さんの採血を経験することが出来ました。成功した際には感謝されたこともありましたし、失敗した際にも「こうやって上達していくんですよ」といった温かい声をかけて頂いたこともありました。採血の機会を与えていただいた全ての患者さんには感謝の気持ちで一杯です。おかげさまで自信を持って採血に挑むことが出来るようになりました。ありがとうございました。
4月から初期研修が始まり、以降あっという間に時間が過ぎている感じがします。出来るようになった手技も多くなり、患者さんとの接し方も慣れてきました。これからも日々、色々な事を学んでいきたいと思います。

diary-33-04.jpg

忘年会に参加して 野竹 純平

うかがり(院内報)の出る1月、2015年も終わりましたね。私たち研修医は初めての忘年会参加という事でもあり余興の参加も研修医枠だけでなく、いろいろな部署からお声をかけて頂きまして本当にありがとうございました。練習日がなかなかうまく合わず個人練習さえも満足にやれずノリと勢いで当日を迎えた気がします。エスカレーターを上がり受付を済ませた後に私と魚津先生は会場の扉をあけました。そこに広がるはスーツ、スーツ、スーツの方々。「そんな馬鹿な⁉」...と。申し訳ありません。
会場を間違えるところから私たちの忘年会は始まったのです。忘れましょう。新たな年を迎えましょう。日赤会場にて各部署からあふれ出る圧倒されたパワーと踊りながら、会場の皆さんが楽しく可笑しく笑いながら忘年会はすすみましたね。マッチョカーニバルモッコリ(?)やら、それはそれは愛いらしいダンスや驚かせる出し物に驚愕し声援を送り、この場に参加できた喜びと一瞬で駆け抜けた研修10カ月を思い出せました。なるほどこれこそ忘年会だ。来年も良い年でありますように、成長できる年でありますように。皆様今年もよろしくお願いいたします!

diary-33-05.jpg

ページの先頭へ