岐阜赤十字病院
卒後臨床研修医

先輩研修医の軌跡

研修医日記

第36話

旭川赤十字病院腎臓内科での研修を終えて  伊藤 裕基

9月から1ヶ月間、旭川赤十字病院腎臓内科で研修して参りました。旭川赤十字病院は病床数554床と岐阜赤十字病院よりも大きな病院です。旭川市は広大な道北エリアの中心都市であり、多くの患者様が通院されていました。写真は病院正面玄関にいたマスコットキャラクターの「アンリー」です。腎臓内科で私は末期腎不全の患者様をメインに受け持たせて頂きました。基本的な内科の知識から腎不全の治療、生活指導まで多くのことを学ぶことができ充実した毎日を送ることが出来ました。あっという間の1ヶ月で足りない事ばかりでしたが、今後業務に従事するにあたって良い経験になったと思います。旭川赤十字病院の先生方を始めスタッフの暖かい指導ありがとうございました。

山口赤十字病院実習を終えて  魚津 弘毅

10月1日早朝、車で山口赤十字病院傍の宿舎に向けて出発しましたが、カーナビの表示を見ると目的地まで約660㎞との表示が。「高速道路を使うから思ったよりも楽だろう」と考えて出発しましたが、思ったよりも遠かった...。
そんなわけで、10月3日からの4週間、山口赤十字病院緩和ケア科で実習してきました。当初、緩和ケアというものは「積極的な治療を行わないで身体の苦痛を取り除いて終末期を安らかに過ごせるように取り計らう」といったイメージを抱いていました。事実、緩和病棟に入院されている患者さんはモルヒネやオキシコドンといったオピオイドで疼痛コントロールされている末期がんの患者さんが多く見受けられました。しかしながら患者さんと日々触れ合ううちに、苦痛というのは身体的苦痛だけではなく、社会的苦痛(家族の問題、経済的問題など)、精神的苦痛(孤独感、不安など)、スピリチュアルな苦痛(死の恐怖など)の4つの苦痛それぞれが互いに影響しあうという「全人的苦痛」の観点からアプローチする必要があるということを再認識しました。
一か月の期間でしたが、3人の緩和ケア科の先生方が熱心に指導してくださり、あっという間に過ぎました。山口での経験をこれからの仕事に生かして頑張ろうと思います。ありがとうございました。

職員旅行の思い出  野竹 純平

この物語の殆どがフィクションのはず...です。私は200円を握りしめ5階の食券機の前に向かう。空腹のスパイスと共に豚骨スープのまろやかなる香りが鼻腔を撫でるが本日もまた丼物を注文した。熱く立つ湯気に魅せられる麻婆丼を持ち、席を探すとそこにあの者が居た!「のたけー!こっちゃ来なさい」見つかった!?そのあいまいな名古屋弁と思われる口調は獲物を逃がさんとする鋭き目と、鋭き牙を持つ者が!私は諦めて、その者の側に行く。今回は何を言われるやら...。「よーきたなーのたけ。最近どうよ?(ここから長いので以下省略)で、今回はな?鵜篝に職員旅行の話を書いてほしいんだわ」なに!この言葉を聞いたとき私に衝撃が走った!ま、まさか私にあの旅の話を書けというのか!?偉い人は無理難題をおっしゃる。私が衝撃を受けている後ろで、かの者はいまだ話を続けていたが、今の私は耳竹輪の状態であった。きっと「わたくしは美しいオホホホオホー」とか言っていたのであろう。残念ながら拒否権は無く書かざるを得ない。医局デスクに戻り石のように重く腰を掛けると、あの旅行の記憶整理を始める。思い出されてくる情景。そう、あの日は曇り空。残念ながら天候には恵まれなかったが20名とちょっとの人数でバスは出発した。知っていたかい?あの旅行には男性は私を入れても4名しかいなかったことを。花の園に囲まれながら談笑し観光しホテルに着く。そう、ここまでは普通だった。ここまでは...。夕食は宴会。アルコールが一滴も飲めない私には少し居場所がない。だが、このホテルにはあったのだ。あれだよ、あれ、温泉プールが。何年も泳いでいなかった私は、食事が終わると一人、プールに向かう。すると、何という事でしょう。匠の志向によるウォータースライダー付き。ここから私の記憶はない。という事にしておく。そう、一人の大人の男がナイトプールにライトアップされた場で「ひゃっほー!」だの、「わっきゃー!?」だの叫びつつ延々33回もスライダーを滑るわけがない。もし現場写真が存在するなら超人真似や正座、背面胡坐万歳アタックなどしている衝撃の画が写っていただろうことなんてない。あの夜は何かではしゃぎすぎた一人の旅人がプールにいただけだ。(日曜日夜はお客さん皆無だから安心だよね!)話をまとめよう。職員旅行の思い出を集約するならば沼津の抹茶クリームラテは最高に美味しかったことだろう。そして、日本語はとても素晴らしい言葉があると身をもって知ったことだ。それは.........『旅の恥は掻き捨て』

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